今日は7つの習慣・実践会ファシリテータ仲間と実践会を行いました。
先月第1回目をやったのですが、ファシリテートを持ち回りで1年間やってみるのもいいかなと思い、本日は私のファシリテートで第2回目「パラダイムと原則 7つの習慣とは」を行いました。
自分の名前で仕事をすることが最初の一歩
この回では、成長の連続体として「依存」「自立」「相互依存」について、まず理解を深めるのですが、仕事を例として面白い事例がでました。
自分の仕事を誰かに見てもらい承認をしてもらうことで、ある意味責任の回避を行っていると。
「この仕事は私がやりました。問題があれば私に言ってください。」
ではなく、
「誰々の承認を得ています。」「誰々がそう言っています。」「誰々からの指示です。」
という感じでしょうか。
そこに「私」というキーワードがでてこないので依存レベルであるということですね。
これも面白いなぁと思いました。
誰かのせい、環境のせいにしないので、たとえ困難な仕事であったとしても、諦めるかどうかも自分の意思決定次第だと。
「何々が悪いからできない」で済ませるのではなく、その中で何ができるのかを考えられると、「私」ができることに視点がいくので自立レベルであると言えると思います。
変化の扉はこじ開けない
説得されても人は変わるものではない。誰もが変化の扉を固くガードしており、それは内側からしか開けられない。説得によっても、感情に訴えても、他人の扉を外から開けることはできない
『7つの習慣』p.68-l.13
「この本の活用法」の項目の中で『7つの習慣』を読んだら他人に教えることを前提に読んで欲しいというのがあります。
その話をしている中で出てきた引用でした。
『嫌われる勇気』にも以下の引用があります。
馬を水辺に連れていくことはできるが、水を呑ませることはできない
『嫌われる勇気』p.143-l.2
我々7つの習慣・実践会ファシリテータは周囲の人々の「変化の扉」の前に「気づきの種」を置くことはできても、その扉を開けて種を受け取るかどうかは、それぞれに委ねるしかないのです。
受け取ってもらえるよう事ある毎に扉を叩き続けることが、できて精々なことなのかもしれません。
ともすれば、実践者として相手に変わって欲しいと願うあまり、無理に「変化の扉」をこじ開けようとしてしまうことを、『7つの習慣』ではちゃんと諫めていました。
何度読んでも気づきがあるものです。
これまで実践会ファシリテータ同士で実践会をやる場合は、勉強会的な感じで内容を端折ったりしていましたが、本番の実践会さながらでやることでファシリテートの練習にもなりますし、実践者同士ならではの深いディスカッションもできました。
次回はイチ参加者として、第1の習慣「主体的である」を学んでいこうと思います。
Today’s Quote !!
「7つの習慣」を学ぶとき、あなたの変化と成長の扉をぜひ開けてほしい。忍耐強く取り組んでほしい。自分を成長させるのは平たんな道のりではないが、それは至高に通じる道である。これに優る投資がほかにあるだろうか。
『7つの習慣』p.70-l.5