皆さん、怒っていますかー?
怒りは感情の一種なので、誰でも感じます。
なので、怒りを感じることは別に悪いことではありません。
ただ、怒りに任せて暴言を吐いたり物にあたったりすることは良いことではありませんね。
何にせよ、怒ると疲れます。(私は)
数分だけでも疲れるのに、怒り続けるとエネルギーを浪費します。
そこに他人が絡むと、さらに疲れます。
関係性も悪くなりますし、それを修復するのにもエネルギーがいります。
怒りの感情は誰でも必ず沸き起こるものですが、それにうまく対処できると良いですよね。
今日はそんなお話です。
怒りはただの道具
ここ数ヶ月アドラー心理学を学んでいます。
前回は感情についての講義がありました。
感情の種類や時間軸による感情の変化など勉強になることが多かったです。
その中でも、特に「怒り」の感情についての分析や対処に多く時間が使われました。
「怒り」の感情については、『嫌われる勇気』の中でも捏造されるもので、出し入れ可能な道具と紹介されています。
あなたは「怒りに駆られて、大声を出した」のではない。ひとえに「大声を出すために、怒った」のです。
『嫌われる勇気』
私たちは怒ることで誰かを恐怖により支配しようとしたり自己の権利を擁護したりします。
怒りはそのためのただの道具なのです。
怒りを生み出す一次感情
そもそも怒りの感情は出来事に対して湧くものではありません。
その出来事に対処できないときに二次感情として感じるものです。
では、その怒りにつながる一次感情にはどういったものがあると思いますか?
一次感情の例としては、
- 不安
- 心配
- 焦り
- 恐怖
- 寂しさ
- 悲しみ
- 落胆
- 恥ずかしさ
などが挙げられます。
何か出来事が起こったときに上記のような一次感情をうまく処理できない場合、その感情が怒りとして現れます。
なので、怒りの感情に対処しようと思ったら、自分に問うことは2つ。
- 自分が怒っている時:
「自分はどんな一次感情を満たそうとしているのか?」 - 相手が怒っている時:
「この人はどんな一次感情を満たそうとしているのか?」
この問いを自分に向けることが刺激と反応の間のスペースを使うことになります。
一次感情の見つけ方
一次感情を見つけるときは、出来事を事実と思い込みと感情に分けましょう。
やり方は簡単です。
怒りの対象の出来事を紙に書きます。
いい人を演じなくて良いので、自分が見たまま、聞いたまま、感じたままに具体的に書きましょう。
頭の中にあるものを外に出すだけで客観的に観られるようにもなります。
前置き無く誰に聞いても事実だと言ってくれるものを四角で囲みます。
自分がその出来事に対して感じている感情部分に波線を引きます。
客観的な事実と言いきれないことに下線を引きます。
客観的な事実か思い込みかの分けが迷うかも知れません。
たとえば、「○○と言われた」というのは事実です。
しかし、相手がどういう意図でそれを言ったのかは、相手に直接意図を問いただしていなければ、あなたが認識している相手の意図は思い込みや解釈になります。
こうして出来事を客観的に分析をしたあとで、自分はどんな不安や心配を感じているのか、それは焦りなのか、恐れなのかなど一次感情を見つけてみましょう。
一次感情が見つかったら、それを言葉にしてみましょう。
そこにはあなたのどんな信念が関係していますか?
怒りではなく一次感情を伝える
相手がいるなら、あなたの一意見として一次感情や信念を相手に伝えてみましょう。
例えば、生活習慣病が心配な家族が一向に改善しようとしない場合に、以下のどちらが相手にあなたの想いが伝わると感じますか?
二次感情で伝える:
「生活習慣病を改善しないといけないのだから、甘いものも間食も控えなさいって何度も言っているでしょ!
私が食事に気を使ったり運動を進めたりしているのに、どうして改善しようとしないの。」
一次感情で伝える:
「あなたの生活習慣病が進行するのを心配している。
食習慣も直した方が良いだろうし、日々少しでも運動をしてもらいたい。
できる限り協力しようと思うけど、どうだろうか。」
「生活習慣病を改善しない家族」という出来事に対して、「心配」という一次感情から怒りが生まれているわけです。
しかし、上記の通り怒りという二次感情を使わなくても、一次感情だけで想いを伝えることは出来ます。
無駄なエネルギーを消費して、かつ自分を含め誰かを不快にする必要もないのです。
怒りを感じた時に、その出来事にフォーカスするのではなく、その出来事から感じる一次感情にフォーカスしましょう。
自分や相手が感じている不安や心配、恐怖といった感情の方にフォーカスを向け、それに対処することで怒りの感情に対処できます。
無駄なエネルギーを消費しないためにも、周りと良い人間関係を維持していくためにも、怒りを感じたときに一度試してみてください。
何が起ころうとも、それが自分に与える影響を自分時維新の中で選択することができたのだ。自分のみに起こること、すなわち受ける刺激と、それに対する反応との間には、反応を選択する自由もしくは能力があった。
『7つの習慣』