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過去と未来と今

あなたは、

過去の出来事がいつまでも心の中に引っかかっていたり

将来に対する不安で夜も眠れなかったり

そういった経験はありますか?

先日、ブルース・リプトン著『思考のすごい力』という本を読みました。Dynamic Spin Releaseを学んでから、信念が身体に与える影響について探求しています。
その本の一節に以下がありました。

意識は、時間軸を遡って過去について考えることも、先へ進んで未来について考えることもできる。一方、潜在意識は常に現在の瞬間にあって作動している。意識が空想にふけっていたり、将来の計画をたてていたり、過去の経験を見直したりするのに忙しいときでも、潜在意識は常に任務についていて、そのとき必要な行動をうまく発動させている。
『思考のすごい力』p.274-l.9

潜在意識には過去と未来がなく、ただ「今この瞬間」があるだけ。
過去と未来は(顕在)意識で考えていることだと。

私たちの潜在意識と意識の割合は

95:5とも
97:3とも
最近では99:1

とも言われています。
過去と未来を考えられる割合が最大でも5%となると、もう過去と未来なんかどうでもいいんじゃないか?と思い、このことについて思考を巡らせてみました。

今日は、そんなお話です。

過去は記憶、未来は選択肢

他人と過去は変えられない
変えられるのは自分と未来だけ

どこでいつ覚えたか忘れてしまいましたが、自分の心の中に常にある言葉です。

過ぎ去った過去の事実は変えることができず、ただそれに対する自分の解釈があるだけ。
他人も本質的には変えることはできない。影響は与えられても、その人が変わるかは、その人の選択次第です。

一方で、自分が変わるかは自分で決められることなので、こちらは自分次第で簡単に変えられます。
自分が変わろうと思えばいいだけなので。
より良い未来を導くために、より良い選択肢を選べばいいだけです。

他人と自分の話を置いておくと、過去は記憶であり、未来は選択肢であると言えそうです。

今をより良く生きるための「過去」

過去が記憶と解釈であるとすると、一概に「過去の出来事」と言っても個人差が現れます。
見聞きした事実のどの部分を切り取るかによって、その人の中に記憶として保持される過去が変わってくるからです。

好きな8文字を選んで自由に生きるということ

同じ映画を同時に同じ場所で観ても人によって意見が分かれるように、ある事実についてどのような認識、または何を記憶にとどめるかは人それぞれになります。

また、個人の過去にとどまらず、歴史も国や時代によって認識が変わります。
時の政府がどんな説を教えるかによって、私たちは歴史のある側面に対して異なった認識を持ちます。

つまり、過去とは事実の中で、私たち個々人が知り得ている限りの知識・記憶であり、それに対する解釈になります。
知らないことは私たちの中に過去として存在もしておらず、また解釈の仕方ひとつで過去の体験への認識も変わります。

過去という事実が人それぞれであり、また認識も変わるとすると、必要以上に過去にとらわれることはなく、「今」をより良く生きるために、過去という知識・経験をどのように使うかを考えるだけで良いのではないでしょうか。

歴史を学ぶ、また過去の経験から学ぶ意味とは、「今」をより良く生きるための智慧を学ぶことと言えそうです。

より良い今を選択するための「未来」

一方で「未来」は未だに来ていない世界です。
ゆえに未来は、それがいかに確実なものであろうとも、頭の中で想像したものに他なりません。

統計学的に必要十分なデータがあり、経験上何度も繰り返されるパターンがある場合は、ある程度確度高く予測ができるでしょう。
それでも、未だ起こっていないことには変わりありません。
そして、十分なデータや経験がなければ、もはや妄想と言えなくもないでしょう。

なので、起こってもいない未来について一喜一憂する必要はありません。
楽しみなことが予定されていれば、その楽しい気持ちを「今」味わえばいいのです。
不安なことがあれば、その不安を解消・軽減するために、「今」何をするかを考え行動すればいいのです。

こうありたいと思い描く未来に向けて「今」を一生懸命に生きるからこそ、望む未来がやって来ます。
紙に書いて忘れなさいと言われることもありますが、これも一度思い描くからこそ、潜在意識が望む未来なるように自動で「今」必要な選択をしているだけでしょう。

未来を思い描くということは、より良い未来を引き寄せるために「今」一番良い選択をするための選択肢を用意することです。
「今」をより良く生きてこその未来ですね。

私たちには「いま」をどう生きるかしかない

曹洞宗のお寺のご住職で作家の枡野俊明氏は、仏教の「三世に生きる」について著書の中で以下のようにおっしゃっています。
※ 三世とは「過去」「現在」「未来」のこと

言葉を換えていえば、死んだ過去のことを思い返してみてもしかたがないし、まだ来ない未来のことはそこに生まれてから考えるしかない、ということでしょう。
つまり、私たちには「いま」をどう生きるかしかないのです。
『心配事の9割は起こらない』p.17-l.5

過去も未来も、個人的なの記憶や想像の範囲でしか私たちは認識できません。
私たちには知らない事実や想像し得ないことがたくさんあるでしょうし、それらすべてを知り、認識し、処理することは現実的ではありません。
今持っている知識(過去)や想像力(未来)を生かして、「今」という瞬間をどう生きると幸せなのかを考えれば良いと思います。

  • 過去は個々人の今の記憶
  • 未来は個々人の今の選択肢

そして、その判断力を養うために過去を学び、情報を集め、未来をより鮮明に描く。
その努力が、「今」をより良く生きることにつながり、次のより良い「今」をもたらしてくれます。

あなたは、より良い「今」を生きるために、あなたの過去と未来をどのように使いますか?

 

Today’s Quote !!

私は変わることができる。過去の記憶に頼って生きるのではなく、想像力を働かせて生きることができる。過去ではなく、自分の無限の可能性を意識して生きることができる。私は、自分自身の第一の創造者になることができるのだ。『7つの習慣』p.130-l.12

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