お盆休みも後半、8月18日(土)に原田真吾氏の「初心者のためのイスラーム入門講座」を受講してきました。
宗教学に関するセミナーは前回のキリスト教入門に続いて2回目。
今回も原田先生の楽しい講義で基礎的な知識を得ることができました。
ちなみに「イスラム教」ではなく「イスラーム」としているのは、イスラームが最初から宗教としての成り立ちを意識していたため「教」という意味が含まれているから不要ということのようです。
その価値観は正しいのか?
今回の一番の気づきは、「価値観の違い」を再認識できたことでしょうか。
1924年にトルコが共和制に移行し政教分離を唱えました。
イスラームは政教一致であるため、政治と宗教が切り離された西欧的な近代国家に移行することになりました。
当然西欧諸国はイスラーム国家の民主化なので大歓迎でした。
しかし
先生
という問いかけ。
確かにトルコは強力な指導者の下、上手く西欧化を果たせた一例ではあると思います。(良いか悪いかは価値判断によるけど)
ただ、2010年から起こったアラブの春については政治的混乱を招いただけで終わっているように見えます。
現に、クルアーン(コーラン)に則った社会の実現を目指すイスラム国への支持はイスラームの人々の中では高いようです。(テロ行為そのものへの支持ではなく)
考えてみれば、普段我々が常識と思っているものの背景には多くの西欧的価値観が根付いています。
その眼鏡をかけて世界を見た場合、イスラームの教えは所々理解し得ない程の距離を感じます。
ただ、彼らには彼らの論理があるのも事実です。
これは難しい問題
そもそもの価値観が違いすぎる場合、どのようなコミュニケーションを取ることができるのでしょうか。
かけている眼鏡が赤とピンクくらいの違いであれば話はできそうです。
しかし、これが白と黒くらい違うとそうはいかないでしょう。
お互いの眼鏡を外す必要がありますが、それがこと宗教だった場合はなおさら難しそうです。
私は特定の宗教を持っていませんが、我々人類が自らが信ずる神のために戦争を繰り返してきた歴史を見ると容易に想像しえます。
議論の根拠が異なったそれぞれの唯一絶対の神となった場合、論理的にわかり合うことは難しいでしょう。
『7つの習慣』では
『7つの習慣』の中にも価値観を扱った部分があります。
価値観は私たちの内面にあり、主観的なものです。・・・
誰でも価値観を持っています。犯罪者にも価値観はあります。
『7つの習慣』p.475-l.15
価値観は時代や地域、立場によって変化していきますが、原則は変わりません。
我々は原則に則った場合に何が正しい行いなのかを判断する知恵を持つ必要があります。
原則に従って対話を行うことで、お互いの持つ価値観にはない第3の案がきっとあるでしょう。
飯山陽氏著の『イスラム教の論理』を読みました。
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イスラームの立場を解説した本はこの本しか読んでいないので断定はできませんが、イスラームの人達の言動がどういう背景で行われているのかを知ることができました。
相手を理解するには、相手の主張の論理を知ることが大事です。
それが欠けると的外れな意見交換がなされることが多々あります。
どうしてそう考えるのかを知ることが相手を理解する近道だと思います。
相手の価値観は相手の価値観として認め、相手を正しく理解した上で、それを受け入れるのかどうかは原則と自分の価値観に則れば良いのです。
今年の勉強のテーマは「教養」です。
引き続き、宗教学、歴史、哲学、芸術などを勉強していきます。
Today’s Quote !!
価値観は人間の行動を支配します。それに対して原則は行動の結果を支配します。
『7つの習慣』p.476-l.1